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お知らせ

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2023/04/06

イースターおめでとうございます。

“復活の信仰が私のものとなるとき、まだ見ぬ世界がひらけます”

(1988年 辻 宣道)

イースターはなぜおめでたいのでしょうか。それは、イエス・キリストが、人間に必ず訪れる”死“を克服して、永遠の命を与え、新しい世界を示してくださったからなのです。イースターの物語は不思議な物語です。

キリスト教を象徴する十字架はイエスが処刑された道具です。人間を死に至らしめるむごい道具です。イエスは何の罪を犯したわけもありませんでしたが、十字架にかけられて死に、墓に葬られました。3日目の朝、弟子たちが墓を訪ねると、入口をふさいでいた大きな石が転がっていて、中にはイエスの姿はありませんでした。この現実を弟子たちは理解できずにいますが、イエスは様々な形で、この意味を弟子たちに伝えようとします。

ある時は弟子たちと食事をしていて、パンを割いてくださったので、イエスだとわかったり、道を歩いている弟子たちと一緒に歩いているのに気が付かなかったり、疑い深い弟子に槍で突かれたわき腹を触らせたり、手の釘の痕を見せたりして、自分は十字架で一度は死んだが、よみがえってここにいるのだ、と解からせようとするのです。「私は何時もみんなと共にいる」、「信じない者にではなく、信じる者になりなさい」と。

この出来事は、イエスが十字架にかかり、人類のすべての罪を背負って死んで下さったのですが、その死を克服して復活したという不思議な出来事でした。こんなあり得ないことが起こったので、弟子たちも信じられなかったのでしょう。

イエスの復活の意味は、十字架で一度は死んで、よみがえったイエスによってもたらされた救いの恵みを表す出来事だったのです。以来、キリスト者は、このイエスの大きな犠牲を意味する十字架を仰いで、罪許された群れとして、感謝をもって日々を過ごしてきました。

今年もイースターを迎えますが、私たちは、罪許された群れとは思えないような憎しみ合いや、戦い、不信を抱きながらの日々を過ごしています。これらの日々を愛と、信頼と、平和を希求する日々へ変えていかなければなりません。その道筋は、すでに、イエス・キリストが示してくださっています。

遠藤久江

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